自分を認めること
分かりやすさでダイエットを例に取ります。
ある人から「太るのが怖い」「何とかしたい」と相談を受けたとします。ちなみに相手はどう見ても痩せています。さて、何と言葉を掛けるのが良いでしょう?
A.痩せてるから全然心配要らないよ
B.カロリー制限をしていれば太らないよ
C.太ったらどうなっちゃうのが怖い?
おそらくよく言われるのはAやBでしょう。ですが、私はCが最適解だと思います。
Aは現実、Bは正論です。これらは相手を励ましたり安心させようとして言われますが、実際のところ「太るのが怖い」という気持ち自体は否定しています。極端ですがAとBの回答を噛み砕くとこうなります。
A.いいえ太っていません→怖がる理由が分かりません
B.いいえ太ることはありません→怖がる理由が分かりません
「太るのが怖い」と言った相手にとってはモヤモヤが残るでしょう。
自分の気持ちを押さえ込んで人の意見に賛同するのはとても難しいことです。よって相談した側が「自分を認める」のが必須になります。これは避けて通れないと私は思います。
ただし、ここで言う「自分を認める」のは自分が痩せていること(現実)や理屈上問題ないこと(正論)を認めるのではなく、「太るのが怖い」気持ち(の根っこ)を認めることなのです。
では続いてCの回答を解き明かしていきます。
C.太ったらどうなっちゃうのが怖い?→怖がる理由を教えて
相手もどうして「太りたくない」か分からなくなっていて「(がむしゃらに)食べない」という呪縛に掛かってしまったかもしれません。よって「太りたくない」という気持ちを認めつつ、その気持ちの根っこを細分化や明確化しましょう。
「着たい服が綺麗に着こなせないから(太ってるせいだなって思って)」
「体が重くてだるいから(太っちゃったのかと思って)」
「◯◯くんに好かれなかったから(痩せれば好いてもらえると思って)」
のようにだんだんと具体性のある内容を見出していけば、自分で自分の気持ちを認められるようになり、呪縛から解放されるチャンスが巡ってくるかもしれません。
私の自己肯定感の変遷(総括)
私=間広の自己肯定感の変遷(3/3)
私=間広の自己肯定感の変遷(2/3)
さらに遡っていきましょう。
◽️間広(20歳)
好きな人(彼氏ではない)に一切の関わりを断たれるという出来事がありました。
接点を失った後、私の心は「謝りたい」に支配されました。でも謝れない。思い出すと息を吸って吐くだけで肺に穴が空いたような、心臓が捻り潰されるような気分になりました。
「評価されたい」でも何も見せられない。「作品の感想を伝えたい」でも何も伝えられない。
私は相手を唯一神のように崇拝していたことを自覚しました。ああ、宗教にハマって抜け出せなくなった人が外野の働きで無理やり教団から引き剥がされたらきっとこうなるんだろうな(元の生活に戻っても心はもう戻ってこない)、という1つの解を見出しました。
自己肯定感は死にました。
◽️間広(浪人生)
偏差値30台でした(特発性過眠症が起因)。
予備校に入ると、自分はたくさんの社会の歯車の1つでしかないという気分になりました。成績が優秀でなければ選択肢を与えられない。予備校というビジネスの1ユーザーでしかない。自分は特別じゃなかった。そんな解を見出してしまいました。
さらに初めての短期バイトが"自分は特別じゃない"の心理に拍車をかけました。
自分は時間に融通が効くしパソコンもできる方だし何より若いから絶対採用される。と思い込んでいたバイト面接で不採用の通知を受け、とにかく驚きました。
誰でも仕事がもらえる試飲や試供品配布のバイトをしてみると、4時間でも辛くて途方もなく時間を長く感じました。
日曜日もたくさんの人が何時間も働いていることを働く人達の目線で感じ、私は学校という組織に守られていた、社会は人の数だけ人生と価値観があった。と気づきました。ショックが大きかったあまり、何でもない当たり前のこととして受け止めきれず、"大きな恐怖"として根を張ってしまいました。
自分の武器だったブラスバンド部やオタク趣味は大きな社会では自分をもう守れない。繋ぎ止められていた自己肯定感は瀕死の重傷を負いました。
◽️間広(高校生)
特発性過眠症が重症化し、ろくに起きていられない日々を過ごしていました。
頑張りたくても頑張れない(常に物事を考えていられない、考えようとすると眠りに落ちる、夢と現の区別がつかず何が起きたか分からない、短期記憶が機能しない)から諦めがちになりました。
周りからも明らかに冷ややかな目で見られるようになりました。
でも「自分はもっと特別なことができるんだ!」という熱意はあり、実際ブラスバンド部、群舞(鳴子持って踊る)、オタク趣味が昇華した行為(声真似や歌やプレゼンテーション)は周りから評価されていました。
成績不振でコミュ障なところはパフォーマンス能力でカバーして、自分を認めようとしていました。
私=間広の自己肯定感の変遷(1/3)
自分の心と向き合うこと
毎日体重計に乗るだけで痩せる。と聞いたことはありませんか?
そんなバカな、と思うかもしれませんが、バカにできません。全然体重計に乗らずただがむしゃらにダイエットする場合を想像してください。
「今何kgなんだろう?」「周りからは痩せたって言われるけど本当にそうかな?」「増えてたらどうしよう」「続けることに意味なんてあるのかな」と不安になるでしょう。
毎日体重計に乗って変化を見るとどうでしょうか?
「減ってこそないけど増えてもないし、もう少し運動続けてみよう」「減ってる!嬉しい!でも油断は禁物だ」「増えてた!やり方を変えよう!」と具体策を見出すでしょう。
先の不安は自ら生み出した妄想です。本当の体重を知らないし知ろうともしていないのに、それに怯えてどんどん自分を苦しめてしまっています。
ところが本当の体重を知ったらどうでしょう。良くても悪くてもとりあえず進むべき道は見えてきます。
現在の状態を知るのはとても大事だと私は思います。
ではこれを、あなたの漠然とした不安に置き換えて考えてみてください。
「私って何なんだろう?」「周りからは良い人って言われるけど本当にそうかな?」「嫌われてたらどうしよう」「生きることに意味なんてあるのかな」
"自分の心と向き合う"とはそうゆうことです。
自己否定無限ループからの脱出
自己肯定感アップは何歳から始めたって良い。
10〜20代の間広へ
「自己肯定感を高めませんか?」
ええ、響かないでしょうね。では、
「自信が持てない、打たれ弱い、嫉妬深い、何をしても惨めな気持ちになる、人の意見に否定的態度ばかりとってしまう、そんな自分を辞めたい」
と言えば、食い付いてくれますか?
「私なんか変われない」という内なる声が聞こえてきます。ええ、そうでしょうね。根本的には変わってないですから。
30歳の私は能力が高まったわけでもなければ、オドオドする性格は相変わらずで、苦手は克服されておりません。嫌な事はとことん嫌です、絶対にやりません。
「じゃあどうして苦しみが緩和されるのか?」ですか。良い質問です。
上記の"根本的には変わってない"の後に続く事柄を全て"自分で認めた"からです。
・能力は高くない
・オドオドする
・苦手なことはある
・嫌なことはとことん嫌
⇒絶対にやりません ←ここが重要!
そう、できないことを「できるようにならなきゃ」と思い込んでいたのが10年前の自分の悲しき無限ループの条件式です。
「できるようになったらループを抜ける」、んなわけあるかい。
できるかできないかを正しく判断する基準は、何だと思う?
私が目指す自己肯定感アップは、バグったwhile文の条件式を正してやることです。
ビビッと来たら、勉強が苦手な私の下手くそな学習まとめについて来るのです。
さあ、旅の始まりです。
30歳の間広より