【まひlog】Psychology Logic

私=間広の記録=ログで【まひlog】です。サブタイトルはマイブームにより変化します。2021.11〜心理学のロジック。

私=間広の自己肯定感の変遷(2/3)

さらに遡っていきましょう。


◽️間広(20歳)

好きな人(彼氏ではない)に一切の関わりを断たれるという出来事がありました。

接点を失った後、私の心は「謝りたい」に支配されました。でも謝れない。思い出すと息を吸って吐くだけで肺に穴が空いたような、心臓が捻り潰されるような気分になりました。

「評価されたい」でも何も見せられない。「作品の感想を伝えたい」でも何も伝えられない。

私は相手を唯一神のように崇拝していたことを自覚しました。ああ、宗教にハマって抜け出せなくなった人が外野の働きで無理やり教団から引き剥がされたらきっとこうなるんだろうな(元の生活に戻っても心はもう戻ってこない)、という1つの解を見出しました。

自己肯定感は死にました。


◽️間広(浪人生)

偏差値30台でした(特発性過眠症が起因)。

予備校に入ると、自分はたくさんの社会の歯車の1つでしかないという気分になりました。成績が優秀でなければ選択肢を与えられない。予備校というビジネスの1ユーザーでしかない。自分は特別じゃなかった。そんな解を見出してしまいました。

さらに初めての短期バイトが"自分は特別じゃない"の心理に拍車をかけました。

自分は時間に融通が効くしパソコンもできる方だし何より若いから絶対採用される。と思い込んでいたバイト面接で不採用の通知を受け、とにかく驚きました。

誰でも仕事がもらえる試飲や試供品配布のバイトをしてみると、4時間でも辛くて途方もなく時間を長く感じました。

日曜日もたくさんの人が何時間も働いていることを働く人達の目線で感じ、私は学校という組織に守られていた、社会は人の数だけ人生と価値観があった。と気づきました。ショックが大きかったあまり、何でもない当たり前のこととして受け止めきれず、"大きな恐怖"として根を張ってしまいました。

自分の武器だったブラスバンド部やオタク趣味は大きな社会では自分をもう守れない。繋ぎ止められていた自己肯定感は瀕死の重傷を負いました。


◽️間広(高校生)

特発性過眠症が重症化し、ろくに起きていられない日々を過ごしていました。

頑張りたくても頑張れない(常に物事を考えていられない、考えようとすると眠りに落ちる、夢と現の区別がつかず何が起きたか分からない、短期記憶が機能しない)から諦めがちになりました。

周りからも明らかに冷ややかな目で見られるようになりました。

でも「自分はもっと特別なことができるんだ!」という熱意はあり、実際ブラスバンド部、群舞(鳴子持って踊る)、オタク趣味が昇華した行為(声真似や歌やプレゼンテーション)は周りから評価されていました。

成績不振でコミュ障なところはパフォーマンス能力でカバーして、自分を認めようとしていました。