摂食障害の心理
1つ前の記事でダイエットを例に「自分を認めること」を解説しましたが、その話のモデルは16歳の私自身です。当時は太りたくない→(がむしゃらに)食べない呪縛に掛かっていました。
きっかけは当時好きだった男の子が好きな相手が私と容姿ががらりと違ったからです。背は簡単に伸ばせないけど痩せるのはできる、と言った具合に。
その人に振り向いてほしかったのではありませんでした。自信喪失の状態がどうにも苦しくて、立ち直りたかったのです。痩せたら自信が湧いてもっと幸せになれると信じていたかったのです。
とても頑張っていたのですが、親からは「食べなさい!」、クラスメイトからは「えー(ダイエットなんて)必要ない!」と言われ、とてもつらかったです。私が「痩せて幸せになりたい」ことの裏返しで「太りたくない」と思っているのを認めてほしかった、この否定は私が幸せになること自体を否定されているようにも感じられたと、今となっては思います。
3週間、1日100kcal程度しか摂らない生活を続けて本格的に栄養失調になりました。部活でドラムが叩けなくなって「自分の好きなことができなくなるんだ」、風邪もひいてないのに熱が出て「このままだと死んでしまうんだ!」と気づきました。
「このままでは幸せになれない」と、元々の「立ち直りたい=幸せになりたい」気持ちに対するある種の解答を得たことで、ようやく呪縛から解放されました。
この時の正解は、自分あるいは周りが「幸せになりたい」気持ちを認めることだったと、今となっては思います。
その後どうなったかと言うと、正常状態に戻すのはとても時間がかかりました。パンを5時間かけて食べたり、朝は好きなものを食べても良いルールを自分に課したり。
気持ちだけでなく体もおかしくなっていました。腹の虫が四六時中鳴るので授業中は地獄だし、2,3時間目の間にトイレでポケットからおにぎりを取り出してバレないように食べたり。
生理が8ヶ月止まった事実に周りが気付いて病院送りにしてもらうまでの間、私はその過酷さを一身に背負っていました。
ですが嬉しかったことが2つあります。
1つは目標体重に到達した時に友達が「おめでとう!」と言ってくれたこと。
もう1つは母の用意する食事がだんだん私の気持ちに沿って工夫されていったことです。
ある日のお弁当は、カットしたフルーツがぎっしり詰まっていました。
「こんなに色んな種類をこんなに綺麗に詰めるのは、絶対大変だったのに…」
その後もブランのクッキーをくれたり、お弁当のご飯を雑穀米にしてくれたり。非常食という名のブレザーのポケットに入るミニおにぎりも母が持たせてくれました。
私が「太りたくない」ことを理解してくれて、「これなら食べても怖くないよ」と伝えようとしてくれてるのがわかりました。
ダイエット中はとても反発していましたが、元に戻ろうとする頃には私の気持ちを否定せずに肯定してくれていたこと、とても感謝しています。
出されたご飯を食べたくても食べられないなんてことは、きっともう無いと思います。